フリュギアの井戸

実生活では口にできないあれこれを、ひっそり井戸の底に落とします。

三度目の緊急事態宣言下で

歴史を見ていて思うのは、つつましく暮らそうとする人を、そして社会を、容赦なく叩き壊すものがある、ということ。

 

戦争、飢饉、流行り病。

それから地震、台風、洪水。

 

圧倒的な力で人々から命を、生きがいを奪ってゆくもの。

多くの人生を狂わせ、時の為政者を引きずりおろすものが、歴史には繰り返し現れている。

 

このなかで一番出会ってしまいそうなのは、地震だと思っていた。

まさか、流行り病の時代にめぐり合わせるとは。

 

コロナワクチンが人々に行き渡るまえに、新しい変異株が増殖している。

概観として、自然の進化のスピードに、人間の知力がついていけていない。

 

ウイルスにとって人間は、培養シャーレみたいなものだと思う。

だから限られた一部でワクチンを接種させても、人類全体を救わないかぎり、意味がない。

 

人間とウイルスという対立構図でみれば、今とるべき優先順位は自ずと見えてくる。

第一は、人流抑制とワクチンの普及。

そのために出てくる経済的損失は当面、人流復活以外の方法で模索するしかない。

 

飲食店や観光業など、苦境に立たされている人の話も伝え聞く。

従業員を、家業を、守るために戦っている人。

今日、明日の生きる活計を失ってしまった人。

大変な人たちに、厳しい言葉は投げられない。

 

けれど厄災は、こういうものだ。

人々から命を、生きがいを奪ってゆく。

厄災の前に戻ろうとする努力は、かえって危険性を増大させる。

 

一般に、ウイルスは感染力が強まると、毒性は下がるといわれてきた。

だが、現在『インド型』と呼ばれる変異株は、感染力の強さと重症化が指摘されている。

jp.reuters.com

 

ウイルスが人間と共生するならば、感染力強化とともに弱毒化するだろうが、それ以外の道を選ぶこともあるのではないかと、ふと思う。

 

すなわち人間の間でさまざまに変異してゆき、最終的には他の生物へ寄生する場合。

その時、ウイルスにとって人類は絶滅しても差し支えない。

 

今、ウイルスはどんな未来を描いているのだろう。

 

人類と共存する未来だろうか。

あるいは人類を殲滅し、鳥とともにゆうゆうと大空を飛んでいる未来だろうか。