フリュギアの井戸

実生活では口にできないあれこれを、ひっそり井戸の底に落とします。

おすすめのお断り

在宅ワーク体制に伴い、社内でPCを共有する機会が増えた。

その共有PCでネットに接続すると、いつもとは違う世界に迷い込む。

車や時計など、私とは異なる社会的属性をターゲットにする広告が、並んでいるのだ。

 

いつものYahoo!トップではない感じだ。

その違和感にあらためて、日ごろいかに自動表示広告にさらされているかを、実感する。

 

そういえば以前、会田誠氏の『カリコリせんとや生まれけむ』をネットで購入した時は、PC画面が大変なことになった。

 

 


(会田氏は、現代芸術家。その作品が性的な面で論議を起こしがち。

でも上掲の書はタイトルからもわかる通り、秀逸な言語センスに満ちている。

物書きとは違う、モノづくりの人の文章の面白さ。)

 

だれでも、あれらおすすめに違和感を覚えたことが、あると思う。

趣味でないものを並べられた、困惑感。

「あの、お電話かけ間違えてますよ。」と言いたくなるような気持ち。

 

広告・SNSのおすすめなど、情報のカスタマイズの弊害は、すでに指摘されている。

現在は、アメリカを筆頭とする社会分断の問題の際に、扱われることが多い。

カスタマイズされた情報によって、人々の思考が偏ってゆき、さまざまな弊害をもたらしているという。

 

思想の極端な先鋭化。

他者性への鈍麻。

集団の分断と思想のムラ化。

 

こう並べただけで、なんというか不毛な暴力の気配が、ぷんぷんする。

 

一方、あれら手法に、大きな収益性があることも分かる。

ターゲットを絞った広告戦略が、効果的であること。

価値観の近似した人をリンクして集団を形成し、結果としてツールを普及させられること。

 

今、人々に夢を与えている「バズる」という現象も、あのシステムの寄与しているところが大きいだろう。

 

でもその収益性のために、社会は不健全な環境にさらされている。

(そして個人個人も、モヤモヤした違和感を与えられている。)

 

情報カスタマイズの対策として、私たち利用者のリテラシー向上を打ち出すのは、根本解決ではない。

(もちろんリテラシー向上は、重要だが。)

工場が有害物質を流出させていたら、周辺の人々に危険性の注意喚起をするより、垂れ流しをこそ、やめさせなければならない。

 

対策として、あれら手法の原動力である収益性を拝金主義と糾弾するのは、順当な手段だが戦略としては弱いと思う。

それより、一人ひとりが感じている違和感を持ち出した批判が、より実効性を持つのではないか。

 

すなわち、「その社会的抑圧により、尊厳を傷つけられる」とすること。

 

パワハラモラハラなど、人から価値を押し付けられる行為(「男なのに、情けない」や「まだ結婚しないの」)はNGなのに、システムから価値を押し付けられること(「あなた、これが好きでしょう」)が大手をふるっているのは、おかしい。

 

以前は自明のものだったネットの匿名性も、名誉棄損から殺人にさえ及ぶ危険性によって、匿名解除の手続きが整えられてきている。

 

あれら情報カスタマイズも、はやく改善してほしい。