張見世
ある社名を聞くと、思い出すことがある。
(今回、下世話な話になります。)
社会人になってすぐのころ、友人(女性)に声をかけてもらって、合コンがあった。
たしか男女それぞれ4人だったと思う。
銀座の、ダウン系ライトに観賞魚の水槽が並んでいるレストランで、いかにも男女の出会いの場的な席での食事会だった。
男性たちは、いわゆるギョーカイ最大手会社の社員とのこと。
彼らの一人が、その美しいお店の手配もしてくれた、と聞いた。
社会人ほやほやヒヨッコの私は、自分もこういう場所にくるようになったのかと、感慨深かった。
事態が動いたのは、乾杯して一通り、場が落ち着いたころだったと思う。
男性の一人が、「ちょっと、すみません。」と携帯を手に、席を外した。
しばらくして戻ってくると、「先輩を呼んでも、いいですか?ちょうど、仕事上がったみたいで。」と言う。
いいですかと尋ねつつも、その人は、すでにこちらに向かっているようだった。
拒否するいわれもないので、女性たちも「もちろん、どうぞ。」と受けいれた。
到着したその先輩は、私たちより一回りは年上と思われる年のころの男性だった。
先輩と言っても、2つ3つ上くらいを勝手に想像していたので、内心驚いた。
そして先輩に向かって、男性たちのヨイショが始まった。
「この先輩、本当にかっこいいんですよ。」
「仕事の仕方も、人生も、僕たちの手本です。」
「先輩みたいに、なりたいですもん。」
「この部署に配属になって、先輩に会えたのが、一番の収穫で。」
男性陣が、盛り上がる。
何が始まっていたのか、みなさんにはわかりますか?
ピヨピヨちゃんには、しばらく事態が把握できなかった。
何を見せられているのだろう、と心中首をかしげていた。
ただ、先輩へのおもてなしを期待されているのは分かったので、ホステスを見習おうと(クラブなんて行ったことないけど)、お酒を勧め、「(お酒に)お詳しいんですね」と称賛の眼差しをおくり、その「貴重な」話を傾聴した(ひねりのない接待)。
そうして、ほほえみながら話をきいているうちに、状況が少しずつ分かってきた。
彼らは先輩への追従と同時に、その人とお近づきになるといかに素晴らしい経験ができるかを、私たちにアピールしていた。
(彼らの「素晴らしい」と当方の「素晴らしい」には、価値の置き所において絶対的隔絶があったけれど。)
つまり彼らは、その先輩に、私たちを差し出していたのだ。
「気にいった娘がいたら、お持ち帰りください。いい娘、そろえてますよ。」
彼らの心中のメッセージが文字になって、白いテーブルクロスの上に浮かび上がっている気がした。
そう、それは合コンではなく、遊郭の店先、張見世だったのだ。
彼らは女衒で、私たちは遊女だった。
びっくりした。
社会に出て早々に女衒の手管を学んでいる彼らも哀れだが、陳列させられている私たちも哀れだと思った。
男女関係にかぎらず、ちょっと…と思うような人に出会うことは、当然ある。
でもその問題は、個人が抱えたもので、困ったちゃんの属性(国籍、所属組織、出身校など)を丸ごと否定するのは、愚かだ。
どんな集団にも、良い人がいれば悪い人もいて、高潔な人がいれば下司もいるものだ。
ただあの時、「この人たち、ヤバいな」と思ったのは、それが個人的なダメダメさではなく、おそらく社風として、女衒行為を(そうと認識せずに)行っていることが、見てとれたからだ。
まだ若い男性陣は、中心にいる先輩の教育の真っ最中であることが、よく分かった。
当時あの会社は、学生たちが就職を希望する会社の十指(五指かも?)には入っていたと思う。
その会社が(おそらく社をあげて)、女衒(というかヤカラというか)を育成していた。
後になって、優秀な若い人材の海外流出が指摘され、国が頭を悩ませ始めた頃、その会社は労働市場でみれば最高条件の若手女性社員をハラスメントで自死に追い込む、という事件を起こした。
いろいろあって、会社は強制捜査をうけ、刑事裁判にまで持ち込まれた。
1件の重大事故発生の陰には、29件の小規模な事故、300件の異常があるというものだ。
そのまま当てはめれば、自死に追い込まれた彼女の後ろには、29人の瀬戸際まで追い詰められた人、300人の心理的傷害を受けた人がいることになる。
亡くなった彼女。
死を選ぶしかなかった彼女の苦しみを思いつつ、「起きるべくして、起きたな」と感じる実経験を持つ人は、数えきれないほどいたと思う。
言っても詮方ないが、彼女が就職を決める前に、私が経験したような下世話ネタでもいいから、話をしてあげる人が、誰か一人でも、いてくれれば。
相手に人権を認めていない(否定するというより、自然体で女性をそして人間一般を、モノとしか見れない)あの感じは、「サイコパス」という言葉さえ、私に連想させた。
彼らとはその場限りで、後を知らない。
あそこで日々薫陶をうけた彼らは、その後どのように社内競争を戦い、どのような価値観を確立し、どのような人生を送っていったのだろう。
あの社名をニュースで目にすると、魚の揺れていたあのレストランが、ふいに脳裏によみがえる。
お魚に罪はない