開会式前前前夜
遅れた話題で申し訳ないが、サッカー欧州選手権。
(打つのが遅くて、時流についてゆけない。)
「調査の一環」という理由を付けてでも開催するって、すごい。
このイベントは本当に愛されているのだな、と思った。
また、ボール一つに狂喜乱舞し、あるいは頭を抱えて地面にへたり込む人々の姿に、スポーツの力を改めて見せつけられた気がした。
大の大人を、これほど熱狂させられるものが、他にどれくらいあるだろうか。
これこそ、祭りだ。
命の危険などかすむほど、物狂おしい熱狂の渦に、人々が身を投じるもの。
それに比べて、白けた雰囲気になってしまっているオリンピック。
スポーツの魅力という下駄をはいてもこの温度というのは、尋常ならざる事態だと思う。
春節の大移動も、サッカー欧州選手権も、下手に抑止すれば民衆のストレスが爆発し、より大きな厄災を招くという予見が成立しえた。
ところがオリンピックは、大衆が延期や中止を求めるにもかかわらず、主催者側が強行しようとした(している)。
見事な、反転図。
なんというか、みなに愛されていないのが、さらされているようだ。
こうなると可哀そうに感じて、庇いたくなってしまうのだが、愛されない最大の理由が、美辞麗句の下の搾取だと思うと、安易に同情できない。
今まで、委員・関係者の特権意識はもちろん、それに群がる人も膨大にいた。
土壇場になって問題になった楽曲しかり、試合会場や選手村の選定、建築、イベント、ロゴ、キャラクターデザインから、各種ユニフォーム類まで、オリンピックをチャンスととらえて動き回る人たちは、膨大にいただろう。
アスリートたちがフェアに戦うイメージを隠れ蓑に、(すべてとは言わないが)どれだけの胡散臭いコンペティションや発注があったか、みな気づいている。
(そもそも組織委員会委員長、ボスの選定で、醜態をさらしてしまったし)。
オリンピックという事業が、「選手」と「権力or金の亡者=タカリ」にはっきり分離して、人々の目に映るようになった。
開会すれば選手たちの浄化力が発動されるが、タカリに対する不審の眼差しは、今までのように払拭することができないのでは、と思う。
(日本だけでなく、おおかたの政府は、できると踏んでいるけれども。)
もしかすると、これが東京2020の、最大の果実になるかもしれない。
他の国からは見えづらい、「競技を真剣に愛する人」と「その便乗人」との違いは、近くで見ている主催国の国民にこそ、よく分かる。
選手には応援を送って競技を盛り上げ(無観客でも、オンラインの独自な形は可能なはずだ)、一方で運営の不正や不備を、冷静に糺すことができれば、素晴らしい。
今まで、「わっしょいわっしょい」の勢いで、誤魔化されてきたもの。
それを、主催国国民はきちんと分別してジャッジしますよ、と日本が示すことができれば、オリンピックを少しよいものにして、次へとパスしたと言えるのではないか。
世界から「ノリが悪い」と言われても、気にする必要はない。
ノリの良さなら、得意な国が、他にいくらでもある。
日本は、日本の良さを出すのが、一番。
「選手たち(オリ・パラともにスターであり、それぞれの国の宝)を無事にお帰しすることが、ホストの務め」と明確に打出し、パンデミック下に相応しい(口うるさい)おもてなしができれば、上々ではないだろうか。
(ただ一歩間違えると「自国を守ることに汲々」とイメージされてしまう。)
だからこそ競技では、まっすぐな応援の気持ちが、すべての選手に、届きますように。