フリュギアの井戸

実生活では口にできないあれこれを、ひっそり井戸の底に落とします。

高齢者の迷子と投票率

迷子のお年寄りに、よく出会う。

おそらく今までに10人くらいは、道案内や、一緒になってのお店探しをした。

(多い方だと思うが、人口の多い地域に住んでいれば、そんなものだろうか。)

 

単に道に迷っただけ方もいれば、明らかに認知症の方もいたし、まだら状態なのかな、という方もいた。

 

「今野醤油店に行きたいの。」という御婦人は、おそらくかなり症状が進行していた。

生れ育った地元の私でも、醤油専門店というのを聞いたことがないし、「いつかの時代のどこかのお店」を探してらしたのだと思う。

 

「隣県の、自宅に帰りたい」という殿方は、服装はしっかりしていた。

遠すぎるので、ターミナル駅でそちら方面にむかう地下鉄に、乗っていただいた。

 

自宅の住所を教えてくれたご婦人は、(足元の様子が心配だったし、近かったので)一緒にタクシーに乗った。

私をとても気に入ってくれて、昔のお見合いの話や、隣村の看護学校へ通った話などを、聞かせてくれた。

車中、おしゃべりが途切れることはなく、テンションの高さが心配なくらいだった。

ところが到着した場所には、おしゃれなセレクトショップしかなかった。

ご婦人は狼狽し、急に落ち込んでしまった。

(私も困ってしまったが。)

結局、警察にお任せした。

 

出会った方たちから感じるのが、みな周りに気をつかっている、ということだ。

「買い物してあげようと思って。」

「見舞いに行ってやろうと思って(奥様が入院して、お嫁さんが大変らしい)。」

「おこづかいくらいは、自分で稼ぎたいでしょ(以前、パートで勤めていたらしい)。」

私が出会った方たちはみな、誰かのために、何かをしようとしていた。

(そしてみな、電話番号だけは教えてくれない。本当に忘れるのか、家族から叱られるのを嫌がっているのか。)

 

袖振り合う程度の、はかない出会いからの判断だが、高齢者は自分が「厄介者」であるのをひどく恐れていると感じる。

認知症になってまでも、いや、だからこそなのか、誰かのために何かをしなくちゃと、一生懸命になっているのが、切ない。

 

 

話は変わって、投票率の世代間格差。

https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/nendaibetu/

 

若い年齢層の投票率の低さは、指摘されて久しい。

高齢者層の人口自体が大きく膨らんでおり、しかも投票率が高ければ、若い年齢層の意見は押しつぶされる。 

https://www.stat.go.jp/data/jinsui/2017np/index.html

 

その意味では、選挙権年齢引き下げも、道理だ。

(「18才で、お酒は飲めないのに」とか、「成人の意味が、分からなくなる」などは、根本的なところで論じる方角を見失っていると思う。)

 

若い年齢層の分母を大きくして、投票率も上げなければ、政策は高齢者向けとなって社会問題が先送りとなる、と問題視されている。

それが大変なのは、重々承知だ。

 

だが高齢者層を超えて、若い層が高い投票率を示すのは、ほぼ不可能では、と思っている。

なぜなら、高齢者が投票所に足を運ぶのは、政治に期待しているからでも、政治への意識が成熟しているからでもない。

(もちろん、暇だから、でもない。)

高齢者は、社会の正当な一員としての自分を確認するために投票するのでは、と思っている。

 

厄介者でも、不要要員でもなく、立派な国民のひとりである自分を確認し、社会に向けて証明するための、投票。

(内的要因がなければ、どれだけ時間が余っていても、公園や喫茶店に行くだけで、投票には行かないだろう。)

 

投票と自己の尊厳が結びついている高齢者のように、「自分の信仰」や「自分の(右や左の)信念」が、投票と結びついている人もいるだろう。

 

高齢者の、ある意味切ない投票動機に対して、若い年齢層は、自分の社会的正当性を、投票で確認する必要がない。

他に活躍の場が、(疲れて嫌気がさすくらい)社会にたくさんあるからだ。

 

投票率の世代間格差は、不可避だと思う。

だから「なぜ若者は、投票しないのか」は、問い方を間違えていて、むしろ「なぜ高齢者は、痛い膝をさすりながらも、投票所へいくのだろうか」だと思う。

 

そのうえで、「高齢者は自分の世代にマイナスになる政策を、受け入れない」という見解自体が今、崩れてきている、と思う。

 

これまでは、確かにそうだっただろう。

だがその結果として、老朽化する原発やガタつく社会保障制度、あるいは世界的異常気象など、具体的問題が浮上している。

それらの対応に迫られる現在、たとえ高齢者受けのするマニフェストを出しても、「それって、問題先送りでしょ」と、ふつうに突っ込まれる。

 

それより大きな問題は、世代を超えて投票率全体が落ちていることだ、と思う。

(前にも書いたけれど。)

 

この前(2021.7.4)の、都議会議員選挙。

コロナ禍の営業自粛やワクチン接種など、多くの実務が、国から地方自治体に任された。

地方政治は、今までになくフューチャーされていた(各知事の顔も、ニュースでよく見るようになった)。

今回は投票率が跳ね上がるのではと思っていたが、それでも投票したのは、半数だった。

https://www.senkyo.metro.tokyo.lg.jp/election/togikai-all/togikai-sokuhou2021/togikai-turnout2021-end/

 

投票率は、右肩下がりだ。

https://www.soumu.go.jp/main_content/000696014.pdf

(衆・参議院議員総選挙がP5、統一地方選挙がP23のグラフ。

特に地方は、おもしろいくらいダダ下がりで、最近は完全に半数を割っている。)

 

投票率が50%を割り込んで、「普通は投票しない、投票するのは少数派」の、現状。

少数派、すなわち、普通ではない人たちによって、この国は運営されている。

認知症の私の祖母にも、投票整理券は届いているので、投票できない一定層の存在と、投票率100%がありえないのは、承知だけれど。)

 

私はできれば、普通の人たちの価値観で、成り立っている国に住みたい。

(マジョリティの暴力性や、多様性の尊重が説かれる現在、この言い方は危ういかも。

でも、民主制って、そういうことだ。

ちなみに、今まで一度も欠かさずに投票している(少し胸を張る)私は、普通ではない人、になってしまっている。)

 

世代がどうのというより、あらゆる世代で投票率をあげないと話にならない、と思う。

そのうえで、特に投票率の低い、若い年齢層には、のびしろがある。

だから若い年齢層が、もっと投票してくれれば、と思う。

 

 

 

みなさん、面倒くさいから投票しない、なんてないですよね。

(ネットの多様な世界で、あえて文章コンテンツに親しむような人たちには、言わずもがなだと思うけれど。)

 

同時代に生きる者として、この選挙と投票を、一緒に楽しみましょう。

 


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