フリュギアの井戸

実生活では口にできないあれこれを、ひっそり井戸の底に落とします。

第49回衆議院議員総選挙

あっという間に過ぎていった、衆議院議員選挙。

皆さん、いかがでしょうか。

私はもちろん投票しましたし、10/31の夜はテレビをつけっぱなしにして(半分聞き流しながらだけれど)、国民のひとりとして選挙を見守り、楽しんだ。

 

でも選挙結果については、3日ももたずに、ニューストピックスから消えてゆく。

ポチポチと打ちながら、はやくしないと時事ネタでなくなってしまう、と焦った。

(これでも。)

 

結果分析より、重要ポストの新しい顔ぶれが問われる今日。

選挙結果は、一週間、もたないんだなあ。

まるで秋空の雲のひとひら

はかない。

 

 

選挙は水もので、たいてい予想とは異なる結果となり、けれど結果からみれば「当然だよね」という分析がでてくる。

事前に予想できないのかとか、後から言うのはズルいとか、そういうことではなくて、選挙ってそういうものだ、と思う。

結果がつねに、予想を超えてゆく。

それが、おもしろい。

 

今回、予想と異なった第一点は、自民党の盤石ぶり。

事前予想では、自民の苦戦(議席の減少をどれだけ食い止められるか)が指摘されていた。

政治研究のプロたちでも、自民党がこれほどの不動ぶりをみせるとは考えていなかっただろう。

 

第二は、与野党問わず「この人が?」という大物が、小選挙区で落選したこと。

たとえば甘利氏が落選するなんて、ご本人も、首相も、予想していなかっただろう。

(開戦の火ぶたが切って落とされてからは、さすがに空気が伝わっていたらしいけれど。)

 

しかもそれが、党を超えて行われたところが、今回目をひいた。

地盤って崩れる時は、クッキーみたいにボロボロと、くだけてゆく。

 

日本には政党政治が根付かないと、課題視されることが多い。

(たしかに課題だけれど、明治維新以来、あるいは戦後70年経ってさえ、政党政治が確立できない以上、アメリカやイギリスのような二大政党政治を、この国で実現するのは無理なんじゃないかと考えている。

これを語り始めると、ひたすらに、長くなる。)

 

政権交替などなく、超党派的に引退勧告がポツポツと発出された、今回の選挙。

こんなふうに新陳代謝が行われてゆくのが、この国のありかたなのだと、感じた。

 

かつ、投票率に大きな変化はなかった。

すなわち投票層は変わらないまま、あれら引退勧告が行われたのだ。

 

政治家は、表向き有権者への配慮、実質は投票者への配慮によって、生き残ってゆく人たちだ。

投票者は、有権者のほんの一部。

だから投票せずに意見する人の相手をしていても、議員の方だって、埒があかない。

反対に言えば、ネット上などの意見に痛痒を感じなくても、投票者の意思表示は、痛く、重い。

ネットに飛び交う言葉と、投票者によって示された引退勧告では、重みが全く違う。

 

たとえ比例で復活しても、権力の幕のうちでの発言力は、格段に落ちる。

(甘利氏が幹事長を辞任したように。)

 

現在の投票層(主に高齢者、地縁にとらわれがち言われる人たち)から出された重鎮たちへの「No」。

これは今後、全ての議員の選挙対策に、影響してゆくと思う。

 

あと追記的に、立憲民主党

立憲民主は、4年前の前回総選挙が、大躍進のホームランだった。

(あれは、ドラマ仕立てのようで、面白かったですよね。)

今回、立憲民主の後退と言われているが、そんなにホームランばかり打てないでしょう、と思う。

 

追記ついでに、小池都知事が、心配。

一般に議員のみなさんは、「選挙」の一言で、アドレナリンを大量放出する人たちだ。

例え負け戦と言われようと、公示とともに走り回り、運動期間後半にもなれば声を嗄らし、頬がこけることを喜びとする、特異な体質の人たち。

そんな議員の中の議員、選挙大好物であろう小池都知事が、二度も選挙戦をまえに休養宣言とは、ただ事ではない。

(病気を理由に、都合よく何かから逃げようとするような人は、いまいち心配できないのだけれど。)

身体が限界なのか、選挙が好物ではなくなってしまった、という政治家としての限界か。

いずれにしろ、つらい思いをされているのではないかと思う。

 

過労は、人を殺す力をさえ、持っている。

現職知事として、これからも、ウイルスとの闘いは続く。

お身体大事に、されてほしい。

 

 


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