フリュギアの井戸

実生活では口にできないあれこれを、ひっそり井戸の底に落とします。

ルーブル美術館展

国立新美術館で「ルーブル美術館展 愛を描く」を見てきた。

www.nact.jp

全体として、女性向けの細やかな心配りを感じる展覧会だった。

 

相性の良い作品と出会うと、「見る」を超えて「対話」が始まる。

今回、対話があまりに楽しい絵画に出会ったので、恥知らずとは知りながらも、思い切って批評家の真似事をしてしまう。

 

フランソワ・ジェラール 《アモルとプシュケ》、または《アモルの最初のキスを受けるプシュケ》。

1798年、186 x 132 cmの大作。

展覧会最後の作品として設置されていた。

 

見た瞬間に感じたのは、プシュケの瞳の静かさ。

何かの本に「凍り付いたような」とあったと記憶していたので、まなざしに冷たさがないことに、あれっと意表をつかれた。

 

(帰宅してから思い当たる本をいくつかひっくり返してみたが、そんなくだりは探し出せなかった。

もっと別の本だっただろうか。

思い出せないのではなく、私の捏造の記憶かもしれない。

こういう時、自分の頭は大丈夫かと、自己不信に陥る。

あの表情を、「凍り付いた」とは言わないよなあ。)

 

プシュケは静かにこちら、鑑賞者の後ろの方を見ている。

両手は胸の下でそっと組んで自身の身体にそわせ、足は足首のあたりで交差させている。

力みのない座り方で、膝は自然と行儀よく揃っており、育ちの良さを感じる。

そして今、まさに口づけを与えようとしている青年の姿のアモルには、髪一筋ほども注意を払っていない。

 

プシュケは、ひとりで十分満足して生きている。

たとえばもし、アモルを「消しゴムマジック」で消したとしても、絵のプシュケは全く困らず、その姿態は完全性を備えたままだろう。

彼女は自足して、そこにいる。

 

一方で彼女に愛を与えようとしているアモル。

この手が、素敵だ。

プシュケが驚かないように、怖がらないように、そっと差し伸べられている。

その口づけは、運命を変える決定的なものでありながら、蝶の羽のように軽いだろう。

肉感的なところが全くなくて(特にこの絵の前に、「ゲヘヘ」としか言いようのない笑いの響く絵画をいくつも見ているので)、その徹底した美しさにキュンキュンさせられる。

こんな風に、若く美しい男性から、宝物のように扱われてみたい、というのは古今東西の女子の夢だ。

 

口づけた瞬間、アモルは姿を隠して飛び去るだろう。

(神話上、まだ二人は、見つめ合うことができない。)

プシュケは、何かが触れたことに気付きながらも、それがアモルとは分からない。

そして舞う蝶を見て、「ああ、蝶ね。」と納得するかもしれない。

けれど、彼女の目の前に広がる世界は、一変しているはずだ。

のどかに広がる草原は相変わらず美しいのに、そこから大切な何かが、欠けてしまっている。

「さっきまではこんなこと、思いもしなかったのに。」と得体のしれない欠落感を、いぶかしく思うかもしれない。

アモルから愛を与えられたプシュケは、以前のように静かに座っていることが、もうできなくなる。

そう、自足しているプシュケは美しいけれど、「静かすぎる」という感じを、観るものに与えていた。

 

―プシュケの本当の人生はこれから始まるんだよ。人は、他人への愛を知らなくてはならないんだ。―

絵にメッセージがあるとするなら、こんな感じだろうか。

 

さらりと清潔感あるタッチが、見ていて疲れさせない。

ルーベンスみたいな、バターの匂いがしてきそうな絵の、対極にある感じ。

 

会場で呆けたように見入りながら、「他の人の邪魔だわ」と離れ、やっぱり「もっと見たい」とじりじり近づき、不審者もどきの態をさらしながら、心行くまで鑑賞した。

 

それにしても今回、私がこの絵に魅入られたのは、展示の力が大きい気がする。

「愛」をテーマに、女の子受けの良い絵と、女の子が「キッショ」と断罪する絵を、絶妙な配分で並べている。

甘いものの後はしょっぱいものが、しょっぱいものの後は甘いものが、よりおいしく感じられるように、快と不快の間を揺れて、最後に心を打ちぬかれた、みたいな感じ。

 

清く正しく美しく成長し、こんな風に愛を知ることができたら、最高に幸せだ。

まさに女子の夢の凝縮。

(女子の夢は一つではなくて、もっと違うあらまほしき恋はたくさんあるけれど。

女子は、特に恋には、欲深い。)

 

「愛を描く」展のトリを飾るにふさわしい一枚だった。

二十億光年の彼の孤独

ウクライナ情勢について。

世界中の人が、それぞれに怒り、恐怖、戸惑いを抱いて、この問題に対峙していると思う。

ひとまず、今の自分の考えを、書き留めておく。

 

非常事態に対して、人は2つの態度を打ち出すことができる。

 

一つは、待ったなしの現実に対して、すぐさま行動を起こすこと。

たとえば、銃撃を、爆撃を、侵略を、止めさせる。

たとえば、侵略に立ち向かう。またはそれに、助力する。

たとえば、危険地帯の人を、逃がす。

 

一方で、行動はしないが、状況を分析し、思考することができる。

たとえば、そのような事態に陥った理由、背景を、分析する。

たとえば、今後の展望を、予測する。

 

この行動と思考の二つは、相互に連関していて、二者択一的に迫られるものではない。

 

なぜこんなことを書くかというと、報道を見ながらぐだぐだ考えていると、そんな(何もしない)自分に、罪悪感がわいてきてしまうからだ。

 

思考は決して無駄ではない。

思考なき行動は、誤った選択をしてしまうことがある。

 

という言い訳を、設定した上で。

 

今、私が感じるのは、プーチンさんの孤独さ。

ロシアが一枚岩でない(国はもちろん、軍隊でさえ)という報道の端々から、(ウクライナ側の報道戦略という点を差し引いても)プーチンさんが孤独なのを、感じる。

 

もちろん取り巻きは、いるだろう。

自らの思考を放棄した、利権にぶら下がる人たちが。

 

(この種のヤカラの問題は、ロシアだけの課題ではなくて。

米・中・この間までのアフガニスタン政権・そしてこの日本でも、権力の周りに群がる人の腐臭は、どこからでも、漂ってくる。)

 

何といっても、プーチンさんが昨今の東欧周辺の状況に、心底怒っているのは感じるが、それと同じ情念を、周りや群衆から感じられない。

 

プーチンさんの怒りに、水を差す人もいなければ、反対にプーチンさんの理念を広めるプロパガンダも、稚拙だ。

 

突っ走る系のトランプ前大統領には、共鳴する人たちがいた(結果、議事堂襲撃などが起きた)。

最悪の暴走のヒトラーでさえ、共鳴するヒムラーや群衆がいた。

 

プーチンさんは、あまりにも孤独だ。

(当然だけれど、これは擁護ではなくて。)

 

だからこそ、今ならプーチンさん一人の心境次第で、状況が急転直下するのを感じる。

プーチンさんに、腹を割って話せる人が、いてくれれば。

 

ごくフツーの会話で、いい。

お酒でも酌み交わしながら、たとえばこんな感じで。

「ねえ、ソビエト連邦は、世界を二分する素晴らしい大国だった。我々の誇りだ。でもさ、歴史は、過去だよ。旧ソに憧憬して武力行使するのって、栄光に憧れてローマ式敬礼を採用したヤバいヤツラの論法に、似てない?」とか。

「今の国際秩序、たしかにおかしいよ。やりたい放題の国もある。でも現実って、いつだって、ままならないものじゃない?」とか。

フツーの、他者の視点を、彼の脳裏に差し込んでくれれば。

(あの目つきのプーチンさんを前にしたら、どんなマブダチだって、口をつぐむだろうけど。)

 

茶化すのではなく、この「戦争」あるいは「特別軍事作戦」を終わらせるには、かのお方にセラピストをつけるのが、今は一番有効だと、思ってしまう。

 

一日でも一刻でも早く、抜いた刃をおさめる道が開けることを、願う。

時間が経てば経つほど、事態は複雑化し、悲劇が大きく育ってゆく。

 

 


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美術館おじさん

もともと外出は、少ない。

なので緊急事態宣言中に、「今は行っちゃダメ、我慢しなきゃ。」と思ったのは、かろうじて美術館へのお出かけくらいだった。

(それ以外に、外出への欲求は、見事に生じなかった。

社会的動物の人間として、本当にどうかと思う。)

そうして思い出したのが、「美術館おじさん」だ。

 

私が学生のころ、美術館にはかならず、美術館おじさんがいた。

 

美術館おじさんというのは、私がつけたあだ名。

特定の個人ではなく、ある種の、たいてい年配の殿方のことだ。

 

美術館おじさんは、どこにでもいた。

国立の大きい博物館でも、小さな美術館でも、絵画でも彫刻でも工芸でも。

洋の東西を問わず、あらゆる美術展にいた。

「あらゆる美術展」ではなく、「あらゆる展示室」といったほうがいいくらい、たくさんいた。

 

おじさんたちは展示作品について、語る。

いつだって気持ちよさそうに、延々と語る。

おじさんは一応、連れの人にむかって話しているが、周囲への「君たちも、聞いてくれ」という気持ちが、声に滲み出ていた。

 

あと、若輩者が申し訳ないのだけれど、美術館おじさんの語る歴史や技法は、なんというか、アカデミックな批判に耐えられない感じだった。

 

内容の正否はひとまず置いても、「俺の話を聞いてくれ。そして、感心してくれ」というメッセージ性が、いつも強烈だった。

美術館おじさんが気持ちよさそうであればあるほど、私は聞き苦しいと感じてしまい、つらかった。

 

作品に見入っていると、後ろから「この時代の特徴はねえ。」という声が、襲いかかってくる。

「ヒィ」と思ってそっと距離をとり、おじさんが遠ざかってゆくのを、じっと待つ。

美術館おじさんとその連れは、ゆっくりと順路をたどってゆく。

静寂を取り戻して、一人ひそかに胸をなでおろす。

と、とたんに隣にいた別の美術館おじさんが、「これだと分かりづらいかもしれないけどね。」と始める。

ふたたび「ヒィ」と震えあがり、逃げる場所を探す。

いつもそんな感じで、美術館をふらふらしていた。

 

当時、これは公害といっていいんじゃないか、と思っていた。

図書館では禁止されているおしゃべりが、なぜ美術館ではゆるされているのか。

言葉であれ、造形であれ、作品との対話は同じなのに、と。

 

その美術館おじさんが、今は、いない。

いや、時々お見掛けしたりもするけれど、あんなにあふれかえっていた美術館おじさんが、絶滅危惧種なみに、姿を減らしてしまった。

 

美術館おじさんが激減した原因は、たぶん、イヤホンガイドの登場だ。

会場入り口で借りることができ、イヤホンを耳につけると、作品の解説が流れてくる、あれ。

あれが普及してくるともに、美術館おじさんは、目に見えて減少していった。

(だから、美術館おじさんを「美術館あるある」だと感じない世代も、いると思う。)

 

ちなみに、ご婦人がたから響いてくる、展示と関係ないおしゃべりは、私はあまり気にならない。

ご婦人がたはたぶん、私のことなど眼中にないので、こちらもプレッシャーを感じないのだと思う。

裏をかえせば、美術館おじさんの口ぶりにはやはり、聴衆としての私が、意識されていた。

だからこちらも、黙って聞かされるのが、しんどかった。

通りすがりの若い人(かつ、女性という要素も)に、自分の知識を開陳することが、美術館おじさんには、喜びだったのだろうと思う。

 

公害と感じるほど苦痛だった環境が、今は改善されて、ごく素直に嬉しい。

 

けれど、大きな声で知識を披露していたおじさんたちは、どこへ行ってしまったのだろう。

おじさんたちにとって美術館は、自尊心を満たす貴重なエンターテイメントスポットだったはずだ。

 

私自身の喜びとは相反するけれど、美術館おじさんたちが、今は黙ってイヤホンをつけているのかと思うと、それはそれで不健康な現象のように感じてしまう。

あの独演会の代償行為としてのハラスメントが、どこか別の場所で起きているのでは、とか…。

暗い考えはよくないので、やめておく。

 

そう、美術館おじさんはきっと、紳士に生まれ変わったのだ。

イヤホンガイドで展示空間に知識が満ち、それとともに美術館おじさんも、成熟した。

周りの人の心を推しはかれるようになり、今ではモノを知る大人として、快適な公共空間を提供してくれているのだ。

と、ひねり出した明るい結論(?)。

 

 

芸術は、考える力を与え(なんだコレは、と自然に考え始める)、活力を与え(興奮して、血が沸騰するのを感じる)、時には、吹き出すほどの楽しい気分も与えてくれる(美術館では飲み込んでいるけれど)。

地震やコロナ禍などの災害時には、不要不急のものに真っ先に数えられるけれど、やはり人類に芸術は必要不可欠だと、確信している。

芸術を持たない文明など、ないのだから。

 

学芸員のみなさん、厳しい時代ですが、頑張ってください。

 


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第49回衆議院議員総選挙

あっという間に過ぎていった、衆議院議員選挙。

皆さん、いかがでしょうか。

私はもちろん投票しましたし、10/31の夜はテレビをつけっぱなしにして(半分聞き流しながらだけれど)、国民のひとりとして選挙を見守り、楽しんだ。

 

でも選挙結果については、3日ももたずに、ニューストピックスから消えてゆく。

ポチポチと打ちながら、はやくしないと時事ネタでなくなってしまう、と焦った。

(これでも。)

 

結果分析より、重要ポストの新しい顔ぶれが問われる今日。

選挙結果は、一週間、もたないんだなあ。

まるで秋空の雲のひとひら

はかない。

 

 

選挙は水もので、たいてい予想とは異なる結果となり、けれど結果からみれば「当然だよね」という分析がでてくる。

事前に予想できないのかとか、後から言うのはズルいとか、そういうことではなくて、選挙ってそういうものだ、と思う。

結果がつねに、予想を超えてゆく。

それが、おもしろい。

 

今回、予想と異なった第一点は、自民党の盤石ぶり。

事前予想では、自民の苦戦(議席の減少をどれだけ食い止められるか)が指摘されていた。

政治研究のプロたちでも、自民党がこれほどの不動ぶりをみせるとは考えていなかっただろう。

 

第二は、与野党問わず「この人が?」という大物が、小選挙区で落選したこと。

たとえば甘利氏が落選するなんて、ご本人も、首相も、予想していなかっただろう。

(開戦の火ぶたが切って落とされてからは、さすがに空気が伝わっていたらしいけれど。)

 

しかもそれが、党を超えて行われたところが、今回目をひいた。

地盤って崩れる時は、クッキーみたいにボロボロと、くだけてゆく。

 

日本には政党政治が根付かないと、課題視されることが多い。

(たしかに課題だけれど、明治維新以来、あるいは戦後70年経ってさえ、政党政治が確立できない以上、アメリカやイギリスのような二大政党政治を、この国で実現するのは無理なんじゃないかと考えている。

これを語り始めると、ひたすらに、長くなる。)

 

政権交替などなく、超党派的に引退勧告がポツポツと発出された、今回の選挙。

こんなふうに新陳代謝が行われてゆくのが、この国のありかたなのだと、感じた。

 

かつ、投票率に大きな変化はなかった。

すなわち投票層は変わらないまま、あれら引退勧告が行われたのだ。

 

政治家は、表向き有権者への配慮、実質は投票者への配慮によって、生き残ってゆく人たちだ。

投票者は、有権者のほんの一部。

だから投票せずに意見する人の相手をしていても、議員の方だって、埒があかない。

反対に言えば、ネット上などの意見に痛痒を感じなくても、投票者の意思表示は、痛く、重い。

ネットに飛び交う言葉と、投票者によって示された引退勧告では、重みが全く違う。

 

たとえ比例で復活しても、権力の幕のうちでの発言力は、格段に落ちる。

(甘利氏が幹事長を辞任したように。)

 

現在の投票層(主に高齢者、地縁にとらわれがち言われる人たち)から出された重鎮たちへの「No」。

これは今後、全ての議員の選挙対策に、影響してゆくと思う。

 

あと追記的に、立憲民主党

立憲民主は、4年前の前回総選挙が、大躍進のホームランだった。

(あれは、ドラマ仕立てのようで、面白かったですよね。)

今回、立憲民主の後退と言われているが、そんなにホームランばかり打てないでしょう、と思う。

 

追記ついでに、小池都知事が、心配。

一般に議員のみなさんは、「選挙」の一言で、アドレナリンを大量放出する人たちだ。

例え負け戦と言われようと、公示とともに走り回り、運動期間後半にもなれば声を嗄らし、頬がこけることを喜びとする、特異な体質の人たち。

そんな議員の中の議員、選挙大好物であろう小池都知事が、二度も選挙戦をまえに休養宣言とは、ただ事ではない。

(病気を理由に、都合よく何かから逃げようとするような人は、いまいち心配できないのだけれど。)

身体が限界なのか、選挙が好物ではなくなってしまった、という政治家としての限界か。

いずれにしろ、つらい思いをされているのではないかと思う。

 

過労は、人を殺す力をさえ、持っている。

現職知事として、これからも、ウイルスとの闘いは続く。

お身体大事に、されてほしい。

 

 


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高齢者の迷子と投票率

迷子のお年寄りに、よく出会う。

おそらく今までに10人くらいは、道案内や、一緒になってのお店探しをした。

(多い方だと思うが、人口の多い地域に住んでいれば、そんなものだろうか。)

 

単に道に迷っただけ方もいれば、明らかに認知症の方もいたし、まだら状態なのかな、という方もいた。

 

「今野醤油店に行きたいの。」という御婦人は、おそらくかなり症状が進行していた。

生れ育った地元の私でも、醤油専門店というのを聞いたことがないし、「いつかの時代のどこかのお店」を探してらしたのだと思う。

 

「隣県の、自宅に帰りたい」という殿方は、服装はしっかりしていた。

遠すぎるので、ターミナル駅でそちら方面にむかう地下鉄に、乗っていただいた。

 

自宅の住所を教えてくれたご婦人は、(足元の様子が心配だったし、近かったので)一緒にタクシーに乗った。

私をとても気に入ってくれて、昔のお見合いの話や、隣村の看護学校へ通った話などを、聞かせてくれた。

車中、おしゃべりが途切れることはなく、テンションの高さが心配なくらいだった。

ところが到着した場所には、おしゃれなセレクトショップしかなかった。

ご婦人は狼狽し、急に落ち込んでしまった。

(私も困ってしまったが。)

結局、警察にお任せした。

 

出会った方たちから感じるのが、みな周りに気をつかっている、ということだ。

「買い物してあげようと思って。」

「見舞いに行ってやろうと思って(奥様が入院して、お嫁さんが大変らしい)。」

「おこづかいくらいは、自分で稼ぎたいでしょ(以前、パートで勤めていたらしい)。」

私が出会った方たちはみな、誰かのために、何かをしようとしていた。

(そしてみな、電話番号だけは教えてくれない。本当に忘れるのか、家族から叱られるのを嫌がっているのか。)

 

袖振り合う程度の、はかない出会いからの判断だが、高齢者は自分が「厄介者」であるのをひどく恐れていると感じる。

認知症になってまでも、いや、だからこそなのか、誰かのために何かをしなくちゃと、一生懸命になっているのが、切ない。

 

 

話は変わって、投票率の世代間格差。

https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/nendaibetu/

 

若い年齢層の投票率の低さは、指摘されて久しい。

高齢者層の人口自体が大きく膨らんでおり、しかも投票率が高ければ、若い年齢層の意見は押しつぶされる。 

https://www.stat.go.jp/data/jinsui/2017np/index.html

 

その意味では、選挙権年齢引き下げも、道理だ。

(「18才で、お酒は飲めないのに」とか、「成人の意味が、分からなくなる」などは、根本的なところで論じる方角を見失っていると思う。)

 

若い年齢層の分母を大きくして、投票率も上げなければ、政策は高齢者向けとなって社会問題が先送りとなる、と問題視されている。

それが大変なのは、重々承知だ。

 

だが高齢者層を超えて、若い層が高い投票率を示すのは、ほぼ不可能では、と思っている。

なぜなら、高齢者が投票所に足を運ぶのは、政治に期待しているからでも、政治への意識が成熟しているからでもない。

(もちろん、暇だから、でもない。)

高齢者は、社会の正当な一員としての自分を確認するために投票するのでは、と思っている。

 

厄介者でも、不要要員でもなく、立派な国民のひとりである自分を確認し、社会に向けて証明するための、投票。

(内的要因がなければ、どれだけ時間が余っていても、公園や喫茶店に行くだけで、投票には行かないだろう。)

 

投票と自己の尊厳が結びついている高齢者のように、「自分の信仰」や「自分の(右や左の)信念」が、投票と結びついている人もいるだろう。

 

高齢者の、ある意味切ない投票動機に対して、若い年齢層は、自分の社会的正当性を、投票で確認する必要がない。

他に活躍の場が、(疲れて嫌気がさすくらい)社会にたくさんあるからだ。

 

投票率の世代間格差は、不可避だと思う。

だから「なぜ若者は、投票しないのか」は、問い方を間違えていて、むしろ「なぜ高齢者は、痛い膝をさすりながらも、投票所へいくのだろうか」だと思う。

 

そのうえで、「高齢者は自分の世代にマイナスになる政策を、受け入れない」という見解自体が今、崩れてきている、と思う。

 

これまでは、確かにそうだっただろう。

だがその結果として、老朽化する原発やガタつく社会保障制度、あるいは世界的異常気象など、具体的問題が浮上している。

それらの対応に迫られる現在、たとえ高齢者受けのするマニフェストを出しても、「それって、問題先送りでしょ」と、ふつうに突っ込まれる。

 

それより大きな問題は、世代を超えて投票率全体が落ちていることだ、と思う。

(前にも書いたけれど。)

 

この前(2021.7.4)の、都議会議員選挙。

コロナ禍の営業自粛やワクチン接種など、多くの実務が、国から地方自治体に任された。

地方政治は、今までになくフューチャーされていた(各知事の顔も、ニュースでよく見るようになった)。

今回は投票率が跳ね上がるのではと思っていたが、それでも投票したのは、半数だった。

https://www.senkyo.metro.tokyo.lg.jp/election/togikai-all/togikai-sokuhou2021/togikai-turnout2021-end/

 

投票率は、右肩下がりだ。

https://www.soumu.go.jp/main_content/000696014.pdf

(衆・参議院議員総選挙がP5、統一地方選挙がP23のグラフ。

特に地方は、おもしろいくらいダダ下がりで、最近は完全に半数を割っている。)

 

投票率が50%を割り込んで、「普通は投票しない、投票するのは少数派」の、現状。

少数派、すなわち、普通ではない人たちによって、この国は運営されている。

認知症の私の祖母にも、投票整理券は届いているので、投票できない一定層の存在と、投票率100%がありえないのは、承知だけれど。)

 

私はできれば、普通の人たちの価値観で、成り立っている国に住みたい。

(マジョリティの暴力性や、多様性の尊重が説かれる現在、この言い方は危ういかも。

でも、民主制って、そういうことだ。

ちなみに、今まで一度も欠かさずに投票している(少し胸を張る)私は、普通ではない人、になってしまっている。)

 

世代がどうのというより、あらゆる世代で投票率をあげないと話にならない、と思う。

そのうえで、特に投票率の低い、若い年齢層には、のびしろがある。

だから若い年齢層が、もっと投票してくれれば、と思う。

 

 

 

みなさん、面倒くさいから投票しない、なんてないですよね。

(ネットの多様な世界で、あえて文章コンテンツに親しむような人たちには、言わずもがなだと思うけれど。)

 

同時代に生きる者として、この選挙と投票を、一緒に楽しみましょう。

 


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江戸中期の人さまざま

なんだかいつまでも続いている『折たく柴の記』です。

 

新井白石は、荻原重秀が大っ嫌いだった、という前回の続き。

白石と重秀の対立の主要因は、貨幣改鋳。

 

経済を回せれば、貨幣の質は大きな問題ではない、と金銀含有率を下げて改鋳を重ねる重秀。

金含有率低下は改悪でしかない、と考える白石。

 

通貨は極論、紙でも石でも良いという重秀の貨幣観は、電子マネー(モノでさえなく、データ)によるキャッシュレス化がすすむ現代からすれば、完全に時代を先取りしている。

白石のせいで悪役のイメージがついていた荻原重秀の再評価は、その世界(学問のあたり)では常識だろう。

 

ただ白石も、金含有率にこだわる理由があった。

それは(別の本になってしまうが)『西洋紀聞』に見ることができる。

 

1708年、カトリック宣教師シドチが、屋久島に到着する。

そのまま追い出すこともできたが、白石は彼を江戸まで呼び寄せ、自ら取り調べている。

 

キリスト教義について、旧約の天地創造や楽園追放等から、新約の処女懐胎やイエスの犠牲による救済まで、きれいにまとめている。

またローマ時代の迫害、コンスタンティヌス帝の改宗と国教化、ヨーロッパ全土への拡散、宗教改革プロテスタンティズムといったキリスト教史を、現在の私たちの認識と大きく外れることなく記している。

取り調べは、イタリア人シドチの話を、長崎から引っ張ってきたオランダ人に通訳させた。

カトリック宣教師と、カルヴァン派の蜂起で独立を勝ち取ったオランダの人。

白石の前で二人は、宗教論争を繰り広げている。

そんな状況で、世界史の予備知識のない白石がここまで理解し、まとめられるのか、と感心する。

頭の良い人って、本当にすごい。)

 

白石がこの宣教師に興味を持ったのは、太閤秀吉の禁教宣言以来、キリスト教禁止を打ち出している日本に、どうして今、宣教師がやってきたのかということだ。

そう、白石は布教にかこつけた偵察を疑っていた。

 

後世の私たちは、黒船来航まで幕府にはまだ時間があると知っているが、白石はそれをこそ恐れていた。

(時代を大きく先取りという点では、重秀と同じだ。

西洋について聞き込み、科学技術などの一定の分野については、当時すでに日本が西洋に遅れをとっていると、しっかり判断している。)

 

話を戻すと、貨幣改鋳による金含有量の低下により(民間で海外へ流れていく小判等から)、日本の国力低下が、海の向こうでささやかれているのではないか、と白石は危惧している。

(この『西洋紀聞』も面白いので、おすすめ。)

 

 

そんなわけで白石と重秀は、貨幣政策に関して完全に対立していた。

なにしろ幕府にお金がないという現実が目の前にあり、対応を迫られる両人は、いやでも対立を激化させる。

 

「国財すでにつきはてて、すべて今より後の事共に取用ゆべきものもなし」(P142)

 

政治を任されたとたんこんなことを言われたら、今まで何やってきたんだよ、とは思うだろう。

 

いやあ、内裏が消失したし(P143)、富士山は噴火するし(P144)、元禄大地震と火事があったし(P146)、と重秀はいう。

 

(たしかに、とんでもない時代だ。

それにしても「天下の事変はかるべからず」(P146)というエクスキューズは、いつの世も用いられる。

福島第一原発メルトダウンの時にも、「想定外」という言葉が、さかんに飛び交った。

江戸時代ならいざ知らず、科学的データが揃い、リスク社会論の練れた現代では、聞いている方が恥ずかしいけれど。)

 

幕府の金庫が底をつくたびに、貨幣改鋳でしのいできた、と重秀はいう。

ただ、貨幣改鋳の下、銀座からキックバックを受けたり(P357)、事業落札は賄賂で請負人を決定したり(P266)、重秀にはダーティな面もあった。

また白石は、強迫的なまでに潔癖症の人だ。

白石にはとても我慢できなかった。

 

重秀を罷免させるために、白石は三度、意見書を上げる。

結果、重秀は罷免となり、その5日後に死去。

注釈には「自ら断食して」(P356)とある。(食を断つだけではすぐには死ねないから、水も断ったのだろうか。壮絶…。)

真実のほどは知らないが、憤死には違いないだろう。

 

そしてまた、重秀罷免の申し立てが三度にまで及んだのは、家宣がすぐには頷かなかったからだ。

白石の訴えに、家宣は言う。

 

「才あるものは徳あらず。徳あるものは才あらず。真材誠に得がたし。今にあたりて、天下の財賦をつかさどらしむべきものいまだ其人をえず。年比重秀が人となり、しらざる所にはあらず」(P268)

 

才能と人柄、どちらも兼ね備えた真の逸材は、簡単に見つからないね。今、天下の経済を任せられる人材がない。重秀の人となりは、分かっているのだが。

そんな家宣に、白石は言う。

 

「古より此かた、真材の得がたき事は申すにも及ばず、重秀がごときは、才徳ふたつながら取るべき所なし。しかるを、なほ徳あらざれども其才ありと思召れむ事、もつともしかるべからざる事」(P268)

 

真の逸材がいないなんて、昔から当ったり前です。重秀には、徳もなければ、才もない。あいつに才能があるだなんて、冗談じゃない。

 

このくだり、私には地団太踏んでいる白石の姿が、見えてくる。

「いいから、とっとと辞めさせろー。」という雄叫びも、聞こえてくる。

 

結局、三度目の封書にして、「我言の激切なるを聞召驚かせ給ひ、明れば十一日の朝に、詮房朝臣仰を奉りて、重秀職奪はれし由を告給ひたりけり」(P269)と、白石が力技で押し切った。

 

「激切なるを聞召驚かせ給ひ」って、もう、何をやっているんだか。

この主従のやりとりが、私には超絶におもしろい。

おっとり君主と、怒り狂う臣下。

 

家宣は、優しく、おっとりした人だった(と思っている。専門的分析を知らないけれど)。

 

そもそも白石が家宣の侍講になったのも、家宣が初めは林家に相談したところ「うちには紹介できる者がおりません」と言われたからだ。(P96)

天下の林家に、人がいないはずが、ない。

綱吉に嫌われていた家宣が、(綱吉へ尻尾をふるために)当時の権力者たちから受けたであろう嫌がらせは、推して知るべしだ。

にもかかわらず、将軍着任後の、吉保や重秀、信篤へのリベンジが、見えない。

むしろ家宣は、彼らを慰留する側に回っている。

 

白石から講義をうける時の家宣は、暑くても寒くても静かに端座していた(P105)とか、大地震の時は、庭に控えた臣下に「そなたら上野の花見のようだ」と言ってほほえんだ(P113)とか。

太宰治が好きだった「美しい人」(『駈込み訴え』や『右大臣実朝』に描かれている人。高貴で、静かで、運命を従容として受け入れる、哀しみの陰を帯びた人)に、かなり近い人物だったのではないかと、思っている。

 

 

 

 

一方、白石は父から「男児はたゞ事に堪ふる事を習ふべき也。」(P59)と教えられたにもかかわらず、「もとより我性急に生れ得しかば、怒の一つのみぞ堪がたき事どもありき。」(P60)と、怒りだけはコントロールできなかった、と告白している。

 

穏やか家宣に、短気な白石。

はたで見て、こんなにおもしろい取り合わせはない。

 

折たく柴の記』、他にも多様なエピソードがあり、読む人ごとに違った面白さを提供してくれると思う。

ぜひたくさんの人に、ご自身で読んでみてほしい。

 

 

これにて、『折たく柴の記』は終了。

ダラダラと、ずいぶん引きずってしまった。

お読みいただき、ありがとうございます。

 


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まつりごと今昔

国家事業に群がるものは上から下まで、自分の利益のみを追い、国庫を食い尽くす。

 

というのは時事トピックではなくて、約300年前の白石の嘆息。

 

「凡ソ興造の事あれば、その事をうけ給はる輩、たかきもいやしきも、おの〱身家の事をのみいとなみて、工商の類と心をあはせて、国財をわかちとりしによれる也。」(P152)

 

歴史が面白いのは、こういうところ。

私たち人間は、おかしいくらい何時の世も、同じことをしている。

利権に群がる人と、それを糾弾する人。

 

白石は、目の前の曲事を糾弾することで、自分の時代を切り開くタイプだった。

雪だるま式に膨れ上がる予算に強い嫌悪を示し、片っ端からバツをつけていく。

同時に相手を糾弾し、糾弾の勢いあまってヒステリー、堪忍袋の緒を引きちぎる。

 

折たく柴の記』に登場する大きな敵役は、二人。

林信篤と荻原重秀。

看板役者でないとつとまらない、大悪人だ。

(単に罵倒されている小者は、数えきれないほどいる。)

 

まずは、林信篤(鳳岡)。

儒学者同士、仕事を奪い合うことが多く、この二人が衝突するのも、当然ではある。

綱吉の棺の御石郭銘文(P135)、湯島聖堂大成殿御詣の次第(P190)など、白石と信篤の案、どちらがふさわしいか、争っている。

なかでも一番派手にぶつかったのが、朝鮮聘事だった。

 

朝鮮からの外交使節団を迎えるお役目。

重大かつ華やかな大役であるのは、いわずもがなだろう。

これは林家が代々担ってきたと申し出る信篤をしりぞけ、家宣は白石に一任した。

信篤の上申書について家宣が下問したところ、信篤がきちんと答えられなかったからだ、と白石は言う。(P166)

 

白石は、両国国書、尊称や諱の取り扱いについて交渉し、対面の儀を見直し、接待にも刷新を行った。

 

(たとえば朝鮮信使の道中、食事が饗膳倒しだったのを、「賜宴は京都、大阪、駿府、江戸の四か所。他は普通の食事で十分。先方だって、日本の信使にそうしている。」(P200)とか、饗応には三家御相伴という定めに、「領客使で十分。勅使にだって、そんなことしていない。」(P202)など、白石らしい見直しだ。)

 

改善はすなわち、前例の否定。

大役を逃した上に、父祖の業績を「礼にかなわず」とバシバシ変更させられて、信篤が心中穏やかでいられたはずがない。

白石の一連の対応を、林一派が非難する。

 

「「さらば両国の戦ちかきにありぬ」などいひのゝしる。」(P204)

 

戦争が始まるなどと、これまた重大事案のごとく騒ぎ立てた。

だがそれも白石にいわせれば、

 

「すべて此時の事共、彼国の人よりも、なほ我国の人〱のいひのゝしれる事こそ多かりつれ。」(P204)

「いかにかくまで、我国の恥ある事をしれる人なき世とはなりぬらむ。」(P205)

 

ということで、問題は隣国ではなく、国内の口さがない有象無象。

外交のあるべき姿を問うているのではなく、ただ白石を失脚させ、林家の主導を取り戻したいのだ。

 

実務で心身をすり減らしているところに、敵対派閥が大騒ぎして、白石はキレた。

朝鮮信使が出立したその日に、辞表を提出する。

 

(白石の気持ちは、分かる。

令和の御代も、同じ。

疫病蔓延に対して、何を休止して、何を立ち上げればよいのか、与野党ともに具体的施策はあまりに杜撰で、本気で知恵をふり絞るのは勢力分布図さくせ…いや、むにゃむにゃ。

あのね、白石。人間ってそういうものみたいだよ。)

 

「けふよりして、出て仕ふる道は思ひとゞまりぬる事の由をしるして、彼使のこゝをたちし日の午の時に終りに、詮房朝臣につきて奉れり。」(P205)

 

白石は、「(国書の交渉は)我もまた死を誓ひて、初のことばを改めず。」(P204)、「此事仰かうぶりし始より、我身はなきものとこそ思ひ定たりつる」(P213)という覚悟だった以上、「そんなに欲しけりゃ、この首一つ、くれてやるわ」ということだろう。

 

家宣や間部詮房は、慌てただろうか。

あるいは白石の人柄を分かった上で、とうとう言いだした、と思っただろうか。

いずれにしろ、引き留めにかかる。

 

「仏氏の説に一体分身とかいふなるは、我レと彼レとの事也。」(P206)

 

家宣は「(白石は)自分と一心同体だよ。」と言ってくれた。

その上で「白石の仕事の正も否も、自分がともに負う。だから進退は、彼自身の望むように。」(P206)と指示した。

また詮房は、

 

「すべて此たびの事ども、汝の身ひとつの事とおもふべからず。皆これ我身の上の事ぞかし。いかにおもふ所ありぬとも、我ため也とおもひておもひとゞまるべし」(P207)

 

貴方一人ではないよ、と家宣と同じように寄り添ってくれている。

「誰が言い立ててるかも知っているし、腹立ちも分かる(P206)。ただ、私のためと思ってこらえてくれ」と。

 

家宣の言葉に白石は、「あまりにかたじけなさに、覚えず涙にむせびぬ」(P207)と、引退を思いとどまった。

 

(家宣も詮房も、大きくて優しい。

白石みたいな人が職場にいたら、たぶん私は、真っ先に逃げる。

家宣や詮房みたいな人なら、「どこまでもついていきます」と思うだろう。

まるで、正反対なこの人たち。

彼らが一緒になって、「正徳の治」を作り出したのが、面白い。)

 

この朝鮮聘事の騒ぎは、信篤自身よりもその追従者が、コトを煽ったように見える。

ただ、幕府お抱え学者の家に生まれ育った林信篤と、木下順庵につくまでは独学で学んだ白石では、そもそも反りが合わなかっただろう。

 

(経済格差がそのまま学歴格差なのは現代以上で、「利根・気根・黄金の三ごんなくしては学匠になりがたし」(P66)と言われていた。

若いころの白石は、学問を志しながらも貧しさから師につけず、書も購えず、借りた書を書き写しては、独学した。

読める書も少なく、誤解も多く、学者としては不幸だった(P74)と本人は言っているが、白石の「自分の頭で考える」思考力が強いのは、このおかげではないかと思う。

古典を聖典とあがめて丸暗記し、時々したり顔で引用するだけの御用学者だったら、あれほどの政治力を発揮できなかっただろう。)

 

白石からみた信篤の人物評は、こんな感じだ。

 

「かゝる人して、人ををしへみちびくべき職にあらしめむ事、もつともしかるべからず。」(P177)

 

こんな人間に、人を教え導く職につかせるなんてありえない、と言う。

(信篤は家宣の代でも、綱吉のころからの大学頭を、引き続き任じられている。)

要職の大人物でも遠慮なく貶しているが、荻原重秀の人物評はもっと徹底している。

 

「其余毒天下に流レ及びし事、いづれの代に除き尽すべしとも覚えず。中にも軍国之儲、その備足らず、財貨之利、其用行はれざる事のごとき、公私の弊害、いかにともすべからず。天地開闢けしより此かた、これら姦邪の小人、いまだ聞も及ばず。これらの事ども三十余年の間、六十余州の中、しらざる人もあらず。」(P272)

 

彼の悪影響は、何代にも及ぶだろう。軍備は不足し、経済は不健全。こんな悪人は天地開闢以来またとなく、その悪事は本邦あまねく知れ渡っている、と。

重秀を嫌悪する気持ちが、真っ黒な滴になって、行間からしたたり落ちている。

 

執筆時、重秀はすでに罷免、しかも死去後にもかかわらず、文章が熱い。

書いてるうちに思い出してしまい、怒りが滾っている感じだ。

重秀が白石の言葉通りの人物なら、ハリウッド映画のラスボスに最適の素材だ。

 

いつまでも引きづってしまっているけれど、長いのでここで稿を改めます。

 

 

 


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