フリュギアの井戸

実生活では口にできないあれこれを、ひっそり井戸の底に落とします。

美術館おじさん

もともと外出は、少ない。

なので緊急事態宣言中に、「今は行っちゃダメ、我慢しなきゃ。」と思ったのは、かろうじて美術館へのお出かけくらいだった。

(それ以外に、外出への欲求は、見事に生じなかった。

社会的動物の人間として、本当にどうかと思う。)

そうして思い出したのが、「美術館おじさん」だ。

 

私が学生のころ、美術館にはかならず、美術館おじさんがいた。

 

美術館おじさんというのは、私がつけたあだ名。

特定の個人ではなく、ある種の、たいてい年配の殿方のことだ。

 

美術館おじさんは、どこにでもいた。

国立の大きい博物館でも、小さな美術館でも、絵画でも彫刻でも工芸でも。

洋の東西を問わず、あらゆる美術展にいた。

「あらゆる美術展」ではなく、「あらゆる展示室」といったほうがいいくらい、たくさんいた。

 

おじさんたちは展示作品について、語る。

いつだって気持ちよさそうに、延々と語る。

おじさんは一応、連れの人にむかって話しているが、周囲への「君たちも、聞いてくれ」という気持ちが、声に滲み出ていた。

 

あと、若輩者が申し訳ないのだけれど、美術館おじさんの語る歴史や技法は、なんというか、アカデミックな批判に耐えられない感じだった。

 

内容の正否はひとまず置いても、「俺の話を聞いてくれ。そして、感心してくれ」というメッセージ性が、いつも強烈だった。

美術館おじさんが気持ちよさそうであればあるほど、私は聞き苦しいと感じてしまい、つらかった。

 

作品に見入っていると、後ろから「この時代の特徴はねえ。」という声が、襲いかかってくる。

「ヒィ」と思ってそっと距離をとり、おじさんが遠ざかってゆくのを、じっと待つ。

美術館おじさんとその連れは、ゆっくりと順路をたどってゆく。

静寂を取り戻して、一人ひそかに胸をなでおろす。

と、とたんに隣にいた別の美術館おじさんが、「これだと分かりづらいかもしれないけどね。」と始める。

ふたたび「ヒィ」と震えあがり、逃げる場所を探す。

いつもそんな感じで、美術館をふらふらしていた。

 

当時、これは公害といっていいんじゃないか、と思っていた。

図書館では禁止されているおしゃべりが、なぜ美術館ではゆるされているのか。

言葉であれ、造形であれ、作品との対話は同じなのに、と。

 

その美術館おじさんが、今は、いない。

いや、時々お見掛けしたりもするけれど、あんなにあふれかえっていた美術館おじさんが、絶滅危惧種なみに、姿を減らしてしまった。

 

美術館おじさんが激減した原因は、たぶん、イヤホンガイドの登場だ。

会場入り口で借りることができ、イヤホンを耳につけると、作品の解説が流れてくる、あれ。

あれが普及してくるともに、美術館おじさんは、目に見えて減少していった。

(だから、美術館おじさんを「美術館あるある」だと感じない世代も、いると思う。)

 

ちなみに、ご婦人がたから響いてくる、展示と関係ないおしゃべりは、私はあまり気にならない。

ご婦人がたはたぶん、私のことなど眼中にないので、こちらもプレッシャーを感じないのだと思う。

裏をかえせば、美術館おじさんの口ぶりにはやはり、聴衆としての私が、意識されていた。

だからこちらも、黙って聞かされるのが、しんどかった。

通りすがりの若い人(かつ、女性という要素も)に、自分の知識を開陳することが、美術館おじさんには、喜びだったのだろうと思う。

 

公害と感じるほど苦痛だった環境が、今は改善されて、ごく素直に嬉しい。

 

けれど、大きな声で知識を披露していたおじさんたちは、どこへ行ってしまったのだろう。

おじさんたちにとって美術館は、自尊心を満たす貴重なエンターテイメントスポットだったはずだ。

 

私自身の喜びとは相反するけれど、美術館おじさんたちが、今は黙ってイヤホンをつけているのかと思うと、それはそれで不健康な現象のように感じてしまう。

あの独演会の代償行為としてのハラスメントが、どこか別の場所で起きているのでは、とか…。

暗い考えはよくないので、やめておく。

 

そう、美術館おじさんはきっと、紳士に生まれ変わったのだ。

イヤホンガイドで展示空間に知識が満ち、それとともに美術館おじさんも、成熟した。

周りの人の心を推しはかれるようになり、今ではモノを知る大人として、快適な公共空間を提供してくれているのだ。

と、ひねり出した明るい結論(?)。

 

 

芸術は、考える力を与え(なんだコレは、と自然に考え始める)、活力を与え(興奮して、血が沸騰するのを感じる)、時には、吹き出すほどの楽しい気分も与えてくれる(美術館では飲み込んでいるけれど)。

地震やコロナ禍などの災害時には、不要不急のものに真っ先に数えられるけれど、やはり人類に芸術は必要不可欠だと、確信している。

芸術を持たない文明など、ないのだから。

 

学芸員のみなさん、厳しい時代ですが、頑張ってください。

 


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