『折たく柴の記』の「生類憐みの令」
おすすめの本。
とても面白いので、古文だからと敬遠してはもったいない。
岩波文庫は下欄に語注があって、読みやすかった。
(もし分からない部分があっても、しょせん日本語。
気にせず、読み飛ばせば良い。その内に、慣れてくる(乱暴…)。
「草」と言われて、最初はギョッとしても、「ああ、おかしいってことね」と了解すれば、以後OKなのと同じ。)
この本の面白さは、第一に新井白石の癖の強さ。
かつ、具体的記述によって、分かりやすいこと。
話が眼前の事物に則しているので、白石の思考が時を超えて、私たちにリアルに伝わってくる。
面白いエピソードがたくさん詰まっているが、まずは、有名どころの「生類あはれみといふ事」(P132)を紹介したい。
新井白石は、6代将軍家宣の漢学の師をつとめ、家宣・家継時代の政治を主導した。
家宣の政治は、当然、5代将軍の引継ぎから始まる。
5代将軍綱吉といえば、「お犬様」だ。
「己丑の春、正月十日に、大喪の御事聞えて、明日は人ゝ皆西城に参るべき由を告来れり。」(P131)
綱吉逝去が1月10日。
「廿二日に至て、御葬送之儀あり。これは十七日より此かた廿日に至りて、雨ふりつゞきし故に、此日におよびしとぞ聞こえたりける。」(P132)
綱吉の葬儀は1月22日。
この日にずれこんだのは、17日から雨が降り続いたためと言われた。
が、本当はべつの事情があった。
「御葬送の儀けふ迄のびし事、真実は雨ふりつゞきし故にはあらず。其故ありし事也。」(P133)
(以降は、白石が直接かかわっておらず、伝聞の記録となっている。)
綱吉逝去の後の「生類憐みの令」の速やかな撤廃は、次代に課せられたファーストミッションだった。
だが綱吉は、
「我此年比、生類いたはりし事ども、たとひすぢなき事にさぶらふとも、此事に限りては、百歳の後も、我世にありし時のごとくに御沙汰あらむこそ孝行におはすべけれ。こゝに侍ふものどももよく承るべし」(P133)
と御遺誡を残していた。
「これだけは、100年後も変わらず続けるんだぞ」って、ものすごい執着が見える。
(困った人だ…。
しかも綱吉は、「すぢなき事(筋がとおらない事)」という非難も、充分承知していたことになっている。
分かっていて、死の床で、念押ししてる。
もう、ヨッシー、勘弁してよ。)
そんな遺戒を残された以上、
「さほどまでに仰置れし事を、御代に至て、其禁除かれん事もしかるべからず。」(P133)
となってしまう。
新将軍が、就任後ただちに前代の遺訓を改めるなど、よろしくない。
一方、「生類憐みの令」の撤廃は、待ったなしの状態であった。
「されど、此年比、此事によりて罪かうぶれるもの、何十万人といふ数をしらず。当時も御沙汰いまだ決せずして、獄中にて死したるものの屍を塩に漬けしも九人まであり。」(P133)
このお触れで多くの罪人が生じ、お裁きが追いつかず、判決を待つうちに獄中死したものも9名あった、と。
(この妙にリアルな人数。)
そこで家宣は、綱吉遺臣の筆頭、柳沢吉保に話を通した。
内意をうけた吉保は、「こゝに侍ふものども」すなわち枕頭で御遺誡を受けた人々に、即時撤廃の旨を伝え、その同意を確認する。
そのうえで20日には、彼らを綱吉の棺の前に呼び出した。
「さらばとて廿日に御棺の前に参らせ給ひ」(P134)
棺に向かって、
「御ゆるしをかうぶるべきに候」(P134)
と言上する。
綱吉第一の腹心、吉保のデモンストレーションは、明確で分かりやすい。
以上の取り計らいののち、
「此禁除かるるゝ由をば仰くだされたる也。」(P134)
とたどり着く。
禁の解除が御葬送の前だったので、世間は綱吉の意思だと思ったという。
「いまだ御葬送之儀も行はれざるほどなれば、世には御遺誡の事とおもひたる也。」(P134)
波風を立てず、ファーストミッション、無事にクリア。
以上が『折りたく柴の記』にみる「生類憐みの令」の後始末記だ。
この法令の、同時代の人々の困らされた感、また代替わりのバタバタ感が、伝わるかと思う。
以下は、私の蛇足的思考です。
1)政権移譲
世界史を見渡しても、目立って珍しいこの悪法、「生類憐みの令」。
次代を担う家宣に課せられたのは、この即時停止と、そのための根回しだった。
即ち、スピードとスムーズさ。
旧弊の撤廃は、下手に行えば反動を招く。
それをうまく処理しながら、新風を吹かせるのは、いつの時代も新しい為政者が背負う課題だ。
さて現在、私たちの目の前の総裁選、衆院選。
新リーダー待望の空気のなか、権力の中心が移動するかもしれないけれど、旧弊の撤廃と、既存勢力の上手な収め方は、どこまで進むだろうか。
白石の時は、「将軍代替わり」という分かりやすさで、旧勢力者に自分たちの引退を納得させやすかった。
(それでも、綱吉時代からの勘定方、荻原重秀に引導を渡すのが遅々として進まず、白石はブチ切れている。これはこれで面白いので、別稿で。)
それに比べて現代は、去るべき人を去らせるのが、格段に難しい。
新しいビジョンを提示するのも重要だが、その後の「始末力(排除ではなく、当人たちにきちんと納得させ、退かせる力)」も、政治家には必要だ。
むしろこれがなければ、どれだけ新しい目標を掲げても、新しい時代を作ることはできない、と思う。
2)お役所仕事
「生類憐みの令」で検挙された何十万人という数は、多すぎてピンと来なかったが、驚いたのは「屍を塩に漬けしも九人まであり」だ。
し、塩に漬けるの?
亡くなっちゃたら、弔うしかないでしょ。
そう思った。
でも、当時の役人たちはそうしなかった。
塩漬けにしたということは、保存。
死体となった被告人の罪を、(死などなかったかのように)裁こうとしていたのだろう。
それが、御定法だから。
討ち取った首級を塩漬け、というのは、その理屈を理解できる(残虐性・猟奇性への恐怖はともかく)。
でも、罪人が獄中死しちゃったから塩漬けして保存、という理屈には、別の恐ろしさを感じる。
「無理だよ。これ以上、処理できないよ。え、死んじゃったの?しょうがないな、じゃ、塩に漬けとこうか。」という流れに、いわゆるお役所仕事の神髄を見た気がした。
お役所仕事を極めると、きっと、こうなるのだ。
現代でも、形式的、非効率的なお役所仕事が、社会問題としてたびたび挙げられる。
でもそれらは、現代に限った問題ではない。
深く伝統あるものなのだと、私はこの本で実感した。
なお、目下の官僚(地方より国)の主な問題は、組織の硬直化よりも、官僚と政治家のパワーバランスの揺らぎから来ている、と思っている。
実務能力よりも、権力者へのご機嫌うかがい(忖度)力を磨くべし、が今の流行りなのだろう。
赤木氏の件はもちろん、ファイザーワクチン1瓶6回ではなく、5回の見積ミスって、どれだけの単純ミスだ、と驚いた。
緊急事態下に実務ができない(さぼるというより、能力として、できない)ところに、病根の深さを感じる。
もちろん人は、間違いをする。
私も自身を振り返ると、とても他人さまを非難できない。
でも、組織としてこの程度という能力を晒してしまったところに、病の深さを思う。
強引に、『折りたく柴の記』に話を戻すと、浮世のあれもこれも、たいていは今に始まったことではなく、いつだってこんな感じでやってきたのだと思う。
良くない構造や問題は、もちろんその都度、訂正してゆくべきだ。
同時に、どんなにたくさん問題が湧いて出てきても、特別に今を悲観することもない、と思う。