メンタルヘルス
コロナウイルス発現で世界が一変し、多くの人がメンタルに多大な影響を受けた。
休業要請等で生計が脅かされる人達は当然のこと、直接的な影響がなくても連日の感染報道で気分が落ち込む人は、たくさんいただろう。
そんななか申し訳ないのだが、私はディスタンス社会になって、とても救われた。
朝から夜までの未曽有パンデミック報道にも、気鬱に陥ることは、なかった。
メンタルヘルスはむしろ、絶好調だった。
世の中にはストレスを周りにぶつけて、心のバランスをとる人たちがいる。
攻撃の対象になるのは、弱い、とみなされる人たちだ。
女性やこども、男性でも反攻撃的な人。
嫌なことをされても噛みつき返すことがない、と(だからといって、傷ついていないわけではないのに)、ストレスのはけ口として、不愉快な目にあわされる。
そんな役回りを負わされている人たちは、ディスタンス社会になって、かなり救われていると思う。
「緊急事態下の生活様式で、人々のストレスが溜まっている」とあたりまえのように言われるが、ストレスから解放されている人も、かなりの数に上っているはずだ。
(実社会では私も一応、「おとなしい人」で通っている。)
さすがに社内や取引先で、怒鳴られたり、暴力をうけたりは、ない。
もっと小さな、ごく些細なものだ。
セクハラやパワハラと認定されない、ギリギリのレベルでの嫌がらせ。
情報共有という名の、陰口。
目配せを回して、疎外感を与える。
鼻の笑いや侮蔑の眼差しで、自分の優位をアピールする。
言外、ボディランゲージでの恫喝。(「お前は、黙ってろよ」みたいな。)
「あれ、ごめん。気に障った?そんなつもりじゃなかったんだけど。」と、ただちにエクスキューズで消去できるもの。
慇懃無礼、というのを本当に知ったのも、社会に出てからだ。
言葉づかいや物腰は至極丁寧なのに、強烈な悪意を表現できるなんて、実際に目にするまで想像もつかなかった。
どうしてそんなことをするのだろうと言っても、答えは明白で、彼らにはそういった行為(他者への嫌がらせ)が、必要なのだ。
自分のメンタルバランスを、保つために。
なるべくスルーする(それ以前に、不愉快な人には近づかない)ようにしているが、会社組織は日々長時間拘束である上に、共同作業が基本である以上、避けきれない。
しかもそういう人に限って、仕事がラフというか、動かないというか、フォローや確認が必要なことが多い。
近づきたくないのに…。
(優しさから、サポートするのではない。
失敗して、私のせいにされるのを避けるための、保身の術だ。
超絶に上から目線で、私の根性も相当に、歪んでいる。)
また不思議なもので、あのタイプは一人をやり過ごす(転属や退職でいなくなる)と、別の新しい人が、ふうっと出てくる。
どうせなら似たもの同士、徹底的にやり合ってくれたら良いのだけれど、そうはならない。
彼らは戦いたいのではなく、ストレスを発散したいだけなのだから、しかたない。
じりじりと、ボディブローのように効いてくる、嫌がらせ。
そんなものを受けるたびに、「私は、サンドバックじゃないんだけどな。」と思う。
そして、「家族が、受け止めてくれないかなあ。」と思ってきた。
子どもはともかく伴侶は、その人と人生を分かつことを、社会的に契約している。
お近づきになる意思など、これっぽっちもない私が、どうして彼らの精神的安定のためのサンドバックにならなければならないのか。
伴侶が責任もって、彼や彼女のストレスの受け皿になってよ(あるいは、教育をほどこしてよ)、と思ってきた。
だから、ディスタンス社会になって、本当に楽になった。
(反対に、不可視領域、家庭内でのハラスメントは、悪化しているだろうと思う。
幼い子たちの身の上を想像すると、怖い。
でもとりあえず、自分の身の安全だけを考えて、喜んでいる。)
結局のところ、根が、引きこもり体質なのだ。
私にとってディスタンス社会は、正々堂々と引きこもれる、かつて想像したこともない社会の到来、ユートピアの実現を意味していた。
ところがコロナ発現から1年半、最近になってメンタルが沈下しはじめた。
話が一転するので、続きは別稿で。
本日、二度目のワクチン接種。
一度目の副反応より、しんどいと聞いているので、おとなしくして過ごす予定。
頭痛薬、ポカリ、パウチゼリー食材を購入し、寝込む準備はOK。