小説の醍醐味
誤読をされないように、本筋から逸れて議論がはじまらないように、丁寧に防御線を張っている学術系書物を読んでいると、「ご苦労様さまだなあ」と感心する。
言葉は数式などと違って、誤解の余地がありすぎる。
それでも、どこまでも言葉で肉薄するしかない学術系は、大変だ。
(不自由さを承知の上で、対象と切り結ぶ格好良さにしびれることも、いっぱいある。)
その点、小説は一枚上手を行っている。
言わずに語る、という手法だ。
小説の場合、そのまま言葉にはしない。
むしろそのまま言ったら、失敗。
「いじめはいけない。なぜならば…」と正面から書くのではなく、作品を通して「いじめはいけないよね」と読者をしみじみ思わせたら、大成功。
その意味で、小説の力を分かりやすく教えてくれたのが、太宰治の『十二月八日』。
大好きな作品の一つだ。
タイトルの十二月八日は、太平洋戦争開戦の日。
その歴史的な日に、日本の勝利を信じ、尽忠報国の決意を固める女性が主人公のお話だ。
だが、そんな表のストーリーとは真逆の皮肉が、作品の底から聞こえてくる。
「こんな戦争始めちゃって、おバカさんだね。お先真っ暗だね。」
太宰らしい、ユーモアにくるんだニヒリストのつぶやき。
でも表面上は文字にしていないから、検閲も取り締まれない。
むくつけに言葉にするのではなく、作品を通して示される作者の考え。
作者と読者がそっと微笑みをかわすような、親密さを醸している。
これぞ、小説の醍醐味だ。
言葉って、こういうことができる。
すごいなあ、とうっとりする。