オリンピック観戦
オリンピック東京2020、いろいろと観戦している。
普段スポーツを見ないので、慣れないことに苦労しているが、そんな私でも楽しめる競技を、見つけた。
空手の形。
素晴らしく、美しいですね。
重心が下にぐっと沈んだ、こういう美しさ、大好きなんです。
歌舞伎や能で、なじみの美だ。
身体に充実した気が、広い空間を満たしていく充溢感。
「静」によって「動」が活き、「動」によって「静」が満ちてゆく。
なんというか、「時が、呼吸している」と感じる。
カメラ越しで、これだけ伝わってくるのだ。
生で、見てみたかった…。
この反対には、重力を知らない妖精が舞うような、時間がリボンのようにスルスルと流れるような、バレエ的な美しさがあると思う。
これは本当に好みの話でしかなくて、私には沈んだ形が、直球で刺さってくる。
しかも空手の演武は、同じ形をいろいろな選手が演じてくれる。
これはもう、「助六は、先代のが忘れられないわ」「いやいや、○○屋も良かったよ」と同じノリで楽しめるのではないか。
(それを点数に換算するところに、無粋さを感じないわけではないけれど。)
他にも、五輪種目として若い競技から感じる、「みんな、楽しもうぜ」的雰囲気が、素敵だ。
極限への挑戦を、選手がお互いにのびのび、楽しんでいる。
しがらみに捕われていない感じが、見ていてホッとする。
(※オリンピックを楽しんでいる方、以下の繰り言は、せっかくの楽しみに水を差してしまう可能性があります。
申し訳ありません。)
真剣勝負に向かう選手の顔は、男性も女性も、最高に美しくてかっこいい。
スポーツに疎い私でも、見ていて、楽しい。
同時に、お脳の軽いナショナリズムに、嫌悪の鳥肌を立てている。
「がんばれ、日本!」や「われわれの○○選手」を聞くのが、本当にしんどい。
あれらの裏に透けて見えるものが、いやなのだ。
一つには、人心の誘導や利用という、権力者側の下心。
一つには、己で確立できない脆弱な自尊心の補完に、選手や共同体を利用する、個人の側の下心。
(そんなふうに考えなきゃいいものを、と思いながらも)反射的に、嫌悪を感じてしまう。
(みんな本当に、スポーツマンシップと矛盾せずに、あれら言い回しを受け入れることができているのだろうか。
あるいは、こう表現するといいだろうか。
負けた選手に「申し訳ありません」なんて言わせる社会的風潮は、不健全極まりない、と。
うん、これなら、共感してくれる人がいるかもしれない。)
今はディスタンス社会に救われているが、もしコロナ前のようにオリンピックが開催されていたら、私は相当苦しんでいただろうと思う。
会う人ごと、オリンピックの話題のたびに、自分を偽っていただろう。
たとえば、はしたないという思いを殺して、メダル獲得数に、喜んで見せたり。
オリンピックが盛り上がるほどに、社会との違和感、それでも順応しようとする徒労に、へとへとになっていたはずだ。
私のスポーツセンスの劣悪さは横に置いても、多くの人にとって、トップレベルの競技の優劣は、そのままでは見極めができないところにまで来ている。
それらがなければ、もう素人には鑑賞や応援さえ成立できない、そんな域にまで一流の競技は達しているのだと、実感した。
競技についての造詣がなければ、一般人には理解できない、あるいは間違った解釈をしてしまうほど、先鋭化したスポーツ。
それはたとえば、現代音楽が音楽理論を分かっていないと楽しめず、現代アートが美術史を知らないと意味不明になりがちなのに、似ている。
生身の身体で、そこまでスポーツを進化させている選手たちは、本当にすごい。
あと、気になったのが、3年後のパリオリンピック。
それまでに、人類がコロナウイルスをコントロールできているとは、思えないのだ。
ワクチン先進国でさえ、変異株による感染再拡大に追われている現在だ。
「ワクチンは解決の決定打にならない」が、現在得られた知見だと、思っている。
もちろん、ワクチン接種に意味がないわけではない。
ワクチンや治療薬の開発と浸透が、変異型の発現スピードについていけてないことが、問題だ。
3年後は「オメガ株」か、ギリシアアルファベットを通りこして、「ラテン名株」が流行しているかもしれない。
東京2020は開催地が日本だったから、こうして開催することができた。
国民の反対、ワクチン普及の致命的遅れという条件下でさえ、血も流れず、政府も(今のところ)転覆せずに済んだ。
でもフランスで、同じことができるとは、思えない。
なにしろ、あのフランス革命を、くぐりぬけてきた国民だ。
(世界史を学んだ時、パリ市民の底力に、驚嘆した。
王権後退後、フイヤン派、ジロンド派、ジャコバン派と、次々に興亡してゆく諸勢力。
歴史好きには、めちゃくちゃ面白かったが、「私だったら、ついていけない世の中だ」と感じた。
そんな長い長い混沌期、パリ市民は疲れ知らずに、元気だった。
喧々諤々議論し、新聞をばらまき、武装化し、襲撃し、ギロチンの刃を落とし、諸外国の干渉をはねのけ、ズタズタに社会を分断しながらも立ち止まることなく、思想で武力で、どこまでも戦い、進み続けた。
そう、「丸くおさめる」なんて言葉、彼らの辞書にはなかった。)
あのDNAと先人の記憶が流れているかの地で、市民に負担を強いるようなイベントを、おとなしく受け入れるわけがない。
この東京2020が、感染促進性と経済的恩恵の些少さを実証したし、北京でもひと悶着ありそうだし。
3年後のイベントを意識しつつ、これからのフランスの政治に、興味津々だ。
(そういえば5年前は、テロの洗礼をうけたことがない東京が、どこまで有効なテロ対策をうてるのかと、興味津々だった。
未来は、全く読めない。
だから、面白い。)
ワクチン、1回目予約がとれて、接種待ちの現在です。
みなさま、どうかお気をつけて。